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2019-12

ひらきいわ

Dec 20, 2019 | Free Press 

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ニューヨークから来た友人客を連れ、美し山へと旅したことを発端に、加えて京都の美術家の友人である新道牧人くんが美し山のこの村に実家があり、その縁から、村外れにある山谷の屑屋「竜宮」に移住し里山暮らしをしている。動機の根幹にあるのは、アメリカ同時多発テロ事件から、東日本大震災、福島原発事故。これが私を大きく動かしていた。あれから、私の反応として、自然の暮らしや、自然農法のこと、忘れ去られていく里山での手仕事や工藝などに強く惹かれ、それらに傾倒していった。

 

私は生まれも暮らしも大阪の都市を中心とし、学生の頃から大阪と京都を行き来していた。しかしなぜかずっと、心の奥底で里山のようなところで暮らしたいと思っていた。そして、世上の動きにより眠っていた願いが浮上して里山暮らしに行動を移したのである。ここの暮らしは思っていた以上に仕事が多く毎日を忙しくさせている。子供の頃、夜の田んぼに何万という蛍が飛んでいる夢を見た、その光景を時折思い出す。色々な藍染の浴衣を着た子供たちが夏の夜の田んぼに走り入り遊ぶ夢を。

 

江戸時代の頃、ある一つの前世で、私はこの美し山から近い福井の鯖江の村に女性として生まれた。その村の風景は今住むこの村ととても似ているという。村は貧しかったが、末っ子のためか幸い奉公などに出されず村で暮らすことができたらしい。( 江戸時代は縄文時代のように豊かな時代と一説にあるので、この前世は幕末の頃だと思う)私はとても美しい女性になった。農民として働き、御侠でおしゃれな女性のようである。最初の夫は早くに馬か何かの事故で別れ、工藝品などを作る男性に惹きつけられ付き合っていた。しかし、長女の姉が亡くなったということで、姉の旦那と急遽結婚することとなった。その家に嫁ぎ、間も無くすぐに死んだらしい。この前世が私にとって楽しい人生の一つだったようだ。前世で私の姉であり、今世ではお料理屋「魚棚」を営んでいた友人の山本純示さんが教えてくれた。

 

先日、村の近くにある「ひらきいわ」を牧人くんと取材した。牧人くんも京都から村の実家に戻り、家が営む藍染を引き継ぎ同じ村の住人となっている。「ひらきいわ」は白い大きな巨石で構成された磐座のような佇まいの遺跡である。古代に形成されたものだろう。縄文時代の頃か、その後のものかはわからない、詳しく研究されていないのだ。しかし、大きな巨石はきっちり東西に切られ、所々にスリットが作られていて、古代の天文観測所のように感じられる。夏至や冬至に、太陽と月の動き、北極星の位置などを観測したのだろうか。岩肌は美しい白石であり、古代の人もその美しい透明感のある白い巨石に惹きつけられたのだろう。

 

この辺りは、いくつかの村を総称して知井村と呼ばれている。知井の語源は遠く朝鮮半島の智異山からきている。古代、朝鮮半島の百済からこの地の祖先がきて開村したと言われている。智異山から北緯三五度沿いの延長の最後に知井村があり、その間に知井と付く地名と、竜宮伝説があるという。おそらく、福井の方からも道筋にしてこの辺りに大陸の人たちが入ってきただろう。近くから縄文時代の黒曜石も発掘されている。縄文の人のいとなみと大陸の人たちがどのような関わりを持ち、この場所がひらけてきたのかはわからない。

 

私はなぜか大切にしている百済土器を一つ持っている。今はそれを「竜宮」の床の間に置いている。全ての事象はつながった絵のように感じるが、霧のようなものがかかり絵の全体像がわからない感覚である。小さな事象も私にとっては大切な鍵となる。これからも偶然で必然的な出来事の連続により、いつか澄みきった絵が見えてくるだろうか。たくさんの愛する星を連れ、流れのままここまできたのだから、みんなでおもしろく美しい絵を見てみたい。

 

前田征紀

 

『mahora』創刊号 寄稿(発行: 八耀堂)

 

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