COSMIC WONDER Free Press
Miranda July
Fall Together
スティーブン・スプロット
World Cinema
長い間、映画の非常に短いショットを集めてきた。ストーリーの続きからやや切り離された、いわゆる『カット・アウェイ』のような少し浮遊感のあるショットを探している。今、それらが集まってきたので、幾通りにも繋ぎ合わせてみた。相互関係が生まれ、表現が広がっていく様が面白い。カット・アウェイは本来、物語の舞台となる環境を暗示するもので、街路、家、店先、車、街並み、風景、夕日などで構成されることが多い。また、天候を示すこともある。暗雲が立ちこめ、雨が降り、やがて雲が切れる。こういったことはストーリーの雰囲気を伝えるのに役に立つし、この特別なフィクションが世界のある場所で、ある時間に起こったという一種の証明にもとれる。ロマンス映画から切り離された夕日は、突然まるで解放されたように自由になり、ただの夕日になる。そしてほぼ終わりのない一連のヴィネット(描写)に加わる。また、光と影やカラーとテクスチャーが織りなす広大な儚い栄光に陶酔するものもあれば、薄暗く単調な日常生活のリズムを捉えているのもある。時には不穏な印象を与えるものもある。噴煙、乾燥した土地、洪水、産業廃棄物。もう何十年も前の映画であるにもかかわらず、それらを観ていると、まるで数え切れないほどの憂慮すべきニュースの見出しを逆スクロールしているような気分にもなる。そして、その先に立ちはだかるディストピアの光景を想像すると、絶望してしまう。とはいえ、これらのショットはすべて二度と繰り返されることのない世界の瞬間を表している。そのひとつひとつが、まるでひとつの呼吸のように。
2024年2月
Stephen Sprott
Collage by Stephen Sprott
エレン・フライス
2024年3月2日土曜日
この日、何十億人もの人々が幸福と悲劇、日常と思いもよらぬ出来事の中で暮らしていた。私の1日はこうして始まった。
週末、娘は父親のところで過ごしていたので、私は3匹の猫と家にいた。いつもより少し遅い時間の9時に目覚めた。最初に目に入ったのはベッドの掛け布団に入ろうとする愛猫ミツの顔だったが、ちょうどシャワーを浴びようとベッドから出るタイミングだった。シャワーを出すと湯気が立たない、バスルームは凍っていた。そしてラジエーターが冷たく、お湯が出ないことに気が付いた。階段の照明も点かない、、、最悪のスタートだった。幸いなことにすぐに解決し、電気のブレーカーを入れ直すと、冷蔵庫、コンピューター、プリンター、ボイラーなど、家の中で聞き慣れたさまざまな音が聞こてきた。シャワーから上がると、ポットにお湯を沸かしながら朝食の支度をした。先日、友人のアヤが持ってきてくれた緑茶を入れて、アボカド、生ハム、パンを食べた。最後にスパイス入りのコーヒーを飲んだ。数年前からコーヒーにカルダモン、シナモン、ブラッククミン、コリアンダーシードを入れている。
家の小さな庭に出て植物の芽吹きを観察した。2月に入ってから数週間で春の訪れを感じた。その後、携帯電話でヴィンテージの服を探した。最近は、半ば取り憑かれたようにマニアックな忘れ去られたブランドの服を見つけ出し、永遠に続く宝探しのようなことをしている。この作業には中毒性があるが、きっといつか飽きると思っている。酷いニュースもネットで読んだ後、コズミック・ワンダーのジーンズに母からもらったヨウジヤマモトのセーターを合わせて、ようやく身支度をした。このヤマモトのセーターはカーディガンをカスタマイズしている。ヤマモトのカーディガンをカスタマイズする勇気のある人がいるかしら?と思うけれど、母はそれをしたのだ。それはとてもユニークに溢れ、私も認めざる得ないことだった。
新しい服を持って、家の角にある私の店*へ行った。日曜日の朝は村のマーケットの日で、店が一番賑わうので新しい商品を並べる。それにしても、この日の些細なことをひとつひとつ挙げていたら、この文章は何ページにもなってしまう。
4時30分、車を探しに家を出た。自分の車を村の中のどこに停めたのかいつも覚えていないけれど、今日はすぐに見つかった。そして、ここから車で20分のヴェルフェールに向かった。10月に東京で行われる私の新しいプロジェクトのために撮影する3人の女性のうちのひとり、友人のフロールと会う約束をしていた。フロールは美しい女性で、大工でありダンサーでもある。数ヶ月前に第二子を出産した。家に入ると、ボーイフレンドのフランソワが玄関に出てきて、しばらくおしゃべりをした。庭にフロールがいた。私は彼女に白いウールのコートを持ってきていたので着てもらい、一緒に散歩に出かけた。彼女はバスケットを持って野生のハーブを摘み始めた。その日は光が灰色だったので、あまりたくさんは撮れなかったが、プロジェクトの始まりとしてはよかった。撮影の間、フロールは山菜でバスケットをいっぱいにした。彼女の家に戻り、お茶と一風変わったグルテンフリーの美味しいチョコレートケーキをいただいた。
車で村に戻り、家でワインを選んだ。約束の時間から少し遅れて友人のキャロラインの家へディナーに行った。そこにはキャプシーヌとディヴィッドもいて、彼らはビールを飲んでいた。キャロラインは建築家で、彼女のアパートは中世の家を改築した最上階にあり、1階は古本屋もある。キャプシーヌとディヴィッドは政治活動家で、私たちは主に政治の話をした。二人はとてもユニークなので私たちはよく笑った。キャロラインは野菜カレーを作ってくれた。彼女が薦めてくれた、パリで見たばかりのスタジオ・ムンバイの展覧会の話もした。キャロリーヌの好きな建築家による美しい展覧会で、彼女は行くことができなかったので、私が見たことを話した。
寝る前に、アニー・ディラードの『An American childhood』を何ページか読んだ。最近このアメリカの天才を知り、彼女の本を熱心に何冊か読んでいる。
2024年3月2日土曜日が過ぎた。
エレン・フライス
2024年3月
*エレンの友人であり、アーティストのアンディ・ウィルキンソンと一緒に開いた「Le Batèl 」という店。古着やアンティークの食器などを販売している。
Photography by Elein Fleiss
花代
春はすぐそこ
あわ太郎*のお庭にフェンスがついた
なんでも動物さんが降りてくるそうな
茅葺き屋根のその佇まいにワイヤーのフェンスは不釣り合いなのがとても気になっていた
ある日あわ太郎が私の野方のお庭にいらしたとき野薔薇や金銀花やお藤さんの
蔦を気に入っていつか美山のフェンスに絡ませようって話をした
お正月あわ太郎から鮮やかな翡翠色のながーい苔のような植物が届いた
床の間にお飾りしてくださいとのこと
お江戸のお正月は毎年驚くほど雲ひとつない快晴だ
その苔さんは我が家の2階の床の間でキラキラ輝いている
その葉は乾いて立春も過ぎたというのに同じように輝いている
私はお礼に約束した植物の種セットを作ることにした
絡まる子達の他に庭に春夏秋冬似合いそうな黄花秋桜、萩、藤袴、秋桐、朝顔などの種
あと今一緒にお稽古中の端唄の楽譜も忍ばせた
後にあわ太郎にあった時小包をとても喜んでいらした
しかしお山の庭は一筋縄では行かない話も聞いた
それは雑草との格闘である
少なくとも月に一回は電動草刈機で雑草を刈らないとすぐにボウボウになり
そうなると蝮が家に入ってくるので危ないらしい
私の憧れの里山暮らしの夢想はすこぶる甘いようだ
*AAWAAのこと
花代
2023年2月
Photography: Hanayo
安野谷昌穂
LINALSASI
LINALSASI
光を差して描く道
LINALSASI
自ら超えて拓く未知
my hope la la la 風が稲穂を滑るように
my home lu lu lu 我が魂の宿すところへ
眠りこけた 昼間の上に 知らない石ころと
同義語になって 通り雨に起こされて
乾かぬままにふらふら
煙のようにゆらゆら
Now worm-up
How wake-up
ねぼけた highway day driver 人任せなアクセルで どこへ行く
いかれた no way day massacre 人助けが嘘だらけ 度を越している
ぼやけた all day just a reminder いい加減に齷齪する のは やめた
あふれた lonely overloader いいからゼロにアクセス しな おせよ
既成概念 もういいね
違う事は 受け入れて
無限の可能性 知るといいね
継ぎ目のない 内なる私 魅かれる声に 耳を傾ける
IMAGINE WING – BEING WIND
CENTERING SOUL – GATHERING CALL
LINALSASI
全てを叶える そんな魔法
LINALSASI
イメージすること どんな時も
自由だな 目前を行く風
振り切られる前に 私は発つ 今この瞬間の風との一致に 集中する
AMBIENT WIND – BLIND CONVERSATION
沈みかけの太陽 バイオレットの風に乗って
鉛玉のようだった私の身体は 春キャベツのように柔らかで透き通る
あいまい と あいまいの 合間へ 確信を持って 飛び込んで
愛 MYSELF
ON A MAGIC PASSAGE
MEETING MY SOUL GOLD
VISION RESOLUTION GOOD
HIGHER REVOLUTION GO
安野谷昌穂
Video letter from Miranda July
丹
AAWAA
丹波における衣の考察を始めた。衣といっても古代の丹波国から直感を受けた夜着や寝具を想像している。なぜ、丹波の夜着や寝具なのか。
かつて、古代の丹波国は大きく丹後半島から私の住まう南丹の美山、兵庫県の氷上や多紀あたりまで大きな範囲で王国を築いていた。特に丹後半島がその中心地であったため、多くの古墳や遺跡が今も丹後に残っている。また、縄文遺跡も多く発見され、縄文の人たちが生き生きと暮らしていた気配を今も感じることができる。丹波、丹後の丹はその土地の土の成分が鉄分を多く含み褐色の赤土のために丹がつくと言われている。実際、この地に住んでみて、赤土が露出していたり、山の小川の石に鉄分と思われる赤さが付着していたり、井戸水がうっすらと赤かったりすることもある。
赤は原初から尊い色とされていた。縄文時代では顔や身体に鮮やかな赤い辰砂を塗っていたという。辰砂は水銀質の鉱物で細かく砕けば砕くほど鮮やかな朱の赤を放つ。辰砂が付着した縄文時代の土器も橿原市観音寺本馬遺跡や更良岡山遺跡などから出土している。弥生時代になれば支配者の埋葬に辰砂が使われ、墳墓から辰砂に彩られた土が多く発掘されている。丹後の三坂神社の墳墓の中にも、辰砂で鮮やかに赤く染まった土が発掘され、そのまま切り取られたものが丹後の資料館の研究遺物として保管室に眠っている。それは、古代の色彩がそのまま感じられる美しい赤、強烈な土と朱のコントラスト。
また、丹波は古代に絹が伝わり今に至っている。伝統工芸の絹織物である丹後ちりめんは古くからの技術を保持して今に伝えている。かつて、辰砂で赤く染めた木棺に彼らを眠らせるとき、絹の衣を着せたのだろうか。そして、さらに顔、身体、衣の上に辰砂がかけられ赤く赤く生の蘇りを祈り葬ったのか。今では丹の土の上に彩る辰砂の赤い朱だけが私たちの目に写る。
AAWAA
2023年8月
Le Batèl
Elein Fleiss
昨年7月、友人のイギリス人のアーティスト、アンディ・ウィルキンソンと一緒に、私の住む村(フランス南西部のサン・アントナン・ノーブル・ヴァル)に、古着やアンティークのオブジェ、食器や本などを販売する店を開いた。アートのインスタレーションのように、オブジェや洋服と自分たちの作品を織り交ぜて展示するレイアウトを一緒にデザインした。
この新しいプロジェクトは、売ることよりも、買うことに重きを置いている。アンディと私は同じ精神を分かち合いながら、それぞれが独立して仕事をしている。私は美しいと思ったもの、目を惹くものは何でも買う。手吹きガラス、古い金属や木の道具、カップ、スカート、手袋、バッグ、革の財布、ウールのセーター、皿の山、男性用のコート、花瓶、、、夢中になって探している。美しいものを見つけるのはとても難しいことだ。スリフトショップやチャリティーショップなど、不要なものを譲ってくれるところへ行く。それらの店は、郊外や小さな町の工業地帯にあることが多い。商品は醜くて質の悪いものがほとんどで分別もされていない。服の棚やラック、トレイに積まれた果てしない服や皿の山、カップやグラスや本で埋め尽くされた棚、スカーフやジュエリーの入った籠など、あちこち見てまわる。何も見つけることができないと思う瞬間があったとしても、その中から宝物を見つけることができる。そして、時折信じられないような美しい陶器を目にして感動に包まれる。その一方、「これは自分のために取っておくべき?」というジレンマが生まれる。「もうこれ以上カップ(またはティーポット)の棚に置くスペースはないでしょう!」、「そう、あなたはコートをたくさん持っているので、これはお店のもの!」とか。でも、その思いがあまりにも強すぎるときはキープをして、自分のコレクションから別のものを出して売ろうと思っている。
この仕事を始めてから半年が経ち、ヨーロッパの陶磁器や20世紀に存在した様々なブランドについて多くを学んだ。私の好みは時間とともに変わり、ある色や模様に飽きると、突然新しいものに魅了される。不思議なものだ。できるだけ自分の感覚に従うようにし、考え込まないようにしている。考え過ぎてしまうと簡単に売れると思ったものを特別好きでもないのに買ってしまったり、間違った方向に進んでしまうことがあるのでそれは避けたい。自分が好きなもの、売れるかどうか疑わしいものでも買いたいと思う。そして、そんな私の好みに共感してくれる人がいることを知り驚いている。商売は出版と同じように、自分の心と感性で行えば、共有できるものなのだと知った。
*Le Batèlとは、私が住んでいる地域の原語であるオクシタン(フランス)語で「船」を意味する。
Elein Fleiss
March 2, 2023
Meeting room at North Village
AAWAA
私の村には面白い集会場があります。300年ほど前の茅葺き屋根の大きな古い建物で、中に入ると広い土間に、土と木でできた雰囲気のある使い込まれた台所と沢山の人が座れる食卓を中心とした集会場です。集会場というよりは自由な村のレストランという方が想像ができるでしょうか。集会場は村に住む誰でも使うことがいつでもできて、台所には色々な食材を持ち込み、美味しいものを作って、自由に食事を食べられるようにしています。大勢でご飯を食べたい時や、時間がある時、お話がしたい時、食材がたくさん余って共有したい時、食材が家にない時など、それぞれ好きな時に集会場に行きます。誰かが食事を作って、次の人の食事が足らなくなったら、食べ終わった人や作れる人が作っておきます。作りたくない人は作らなくて良いし、話をしたくない人は離れて食べても良い、一人ひとりの心地よさが許される場所になっています。畑や農場で余ったものをみんなで楽しむことを基本に、食材は村の予算で払うこともあったり、払わなかったりとその都度の加減によって成り立っています。村の農家さんが自然農や無農薬で作った上質なお米や野菜、卵やお肉もあれば、それぞれの畑で育てた心のこもった美しい食材まで豊富に台所に集まります。加工品も村の中に工場があり、余ったものなどが集会場に置かれています。お料理を作ることが楽しいという人たちが料理を作り、食べることが楽しいという人たちは食べて会話をし、村の人たちの無理のない気持ちを尊重することが、この集会場が長く存続する理由だと思います。
また、村へ提案する新しいアイデア、何か問題がある時にも集会場に行きます。そこにいる人たちで話し合った後に、村の大きな集会で話し合います。もちろん村の大きな集会もこの食卓を囲みます。かつて上がった議題で面白いプロジェクトに発展したものがあります。村が所有する山や森に人が手を加えてしまい不自然になってしまった自然をどうしていくかという問題がありました。それから、様々な分野の技術者や研究者などに意見を聞き、今では少しずつ山や森を自然に戻していくことを実践しています。それは、目に見える大きな問題になる前に、人が肌で感じる直感や心地よさを取り戻し、村の人たちの感覚を研ぎ澄ませる活動でもあります。
私が楽しみにしている日があります。それは、村の料理家や村外から料理家が来て、村にある材料で特別な食事を作っていただき、村の多くの人が集まる日があります。その時は、みんなでお金を払うこともあるし、料理家に必要なものをプレゼントする人もいます。この会の集まりには、それぞれが大いにおしゃれをして参加します。今の私のインスピレーションの源はここに集まる村の人たちの服装です。先日、国籍のない原初的な料理の会がありました。それぞれがおしゃれをして、100年以上も前の作業着を素敵に着こなす男性も印象的でした。その中に、村に住む年配の白髪の髪の長い女性が私の心を捉えました。ヨーロッパの19世紀の黒いロングドレスをゆったりと着れるようにリメイクをして、鹿皮の小さなバックを手に持ち、足元はアジアのつま先が反り返り尖った靴を履き食事会に来られていました。髪型は19世紀後半のようにふわりと結ったスタイルがとても素敵でした。その美しさは、何にもとらわれない豊かな心で全てを融合した自由さ、時間や次元を超越した感覚、リラックスしたユーモアー、何よりも全てを受け入れるような優しさが放たれ、彼女の存在と出立ちに集会場の空間がより一層あたたかな場に感じられました。
AAWAA
写真上から
集会場の日干し煉瓦
19世紀フランスの大麻布袋
ガラ紡*による無農薬栽培綿ツイードの仕事着
*ガラ紡 19世紀末に元僧侶の発明家、臥雲辰致により開発された紡績機。綿のオクソ(落ち綿)を使い手紡ぎのような糸を紡ぐ
꽃신(コッシン)
秋なのか
エレン・フライス
ベージュとブラウンの木々 — 去年の夏、木々はブラウンになり、一部は渇きで枯れ、緑は少しづつ風景から消えていった。夏はまるで秋のようだった。空には時折雲が現れ、だんだん暗くなり、ようやく雨が降るのかと思ったら、5分ほどの間にほんの少し降る程度だった。川の水は少なくなり、完全に干上がっていった。今は秋、胡桃の木は鮮やかな黄色になった。ある朝、霧が覆い景色が消えた。正確には9月27日、隣りの町まで車で行ったとき、私の住む村の方に霧が降りるのを見た。私は2つの谷が交差する場所に住んでいる。時々、空に白いブランケットをかけたような霧が頭上に立ち広がり丘は消え、村はその白さの中に取り残されてゆく。
もうひとつの秋の気配は、通りに栃の木があることだ。私は2日前に自転車で栃の実を採りに行った。ちょうど木から落ちて乾いていたが、思っていたほど採れなかった。毛糸を食べる小さな虫、その虫は栃の木の匂いが嫌いだと友人から聞いた。私はウール、そして洋服も大好きなので、ウールの洋服をたくさん持っている。来年は数百個の栃の木の実を収穫したいと思っている。石垣には赤くなった五葉の蔦が美しく茂り、庭では藤が黄色に色づき、桃色の秋明菊が咲いている。それでも雨は降らない。昨日は27度、バラはまだ咲いている。
エレン・フライス
2022年10月22日
写真: エレン・フライス
Spring has come Elein Fleiss
春の訪れは突然、暗闇の中に小さな光が差し込むように、風景にあたらしい色が現れる。それはいつも地面にある黄色か紫の花から始まる。私が住んでいるところで一番初めに咲くのは、ニオイスミレ、ヒメリュウキンカ、タンポポのいずれか。これらはまだ冬景色のときに現れる。また、ハシバミの木にぶら下がっている金色の蕾のような花もその前触れ。春の訪れ!これらの兆候はいずれも喜びをもたらす。まだ寒いかもしれないし、夜は凍えるかもしれない、でも紛れもなく春が近づいている。
数日後、私は小さな庭の潅木の蕾に気づき始め、細い道を車で走っていると、桜の白い花芽や、最初に咲くコーネルのとても小さな黄色い花に気づく。長い冬の眠りを終えて、自然の活動が再び始まり、まるでバレエのように次々と木々にやわらかな緑の葉が芽生え、新しい花やハーブが顔を出す。
先週、何百本もの水仙が群生している「水仙森」に行った。私はいつも何本か摘み取ることにしているが、今年は少し早すぎたようで、まだ数十本しか咲いていなかった。そこでノヂシャ、多年草レタス、タンポポなど、サラダとして食べる野生のハーブを摘むことにした。
田舎に引っ越しをして、自然や季節のサイクルに親しむようになると、その絶え間ない変化と早さに驚かされるようになる。植物は植生の変わり目に収穫し食べるのがよく、食用植物は花が育つ前、薬用植物の場合は花が開いた直後など(例えばサンザシ)、その変化の時は数週間しか続かないこともある。春の訪れと共に、またひとつ私の日々の暮らしに純粋な喜びが生まれ嬉しくなる、これから夏の終わりまで、キッチンのテーブルには花瓶に生けた新鮮な花々をいつも飾ることができる。
February, 2022
Elein Fleiss
Photography: Elein Fleiss
The sheep around me
私は何世紀にも渡り羊飼いが作り出した風景が残るコース地方で暮らしている。羊を入れておく囲い、羊飼いのためのシェルター、区画を隔てる低い壁など、すべて乾燥した石でできていて、それらは過ぎ去った歴史を思い起こさせる。石灰岩の台地であるコースは、海抜数百メートルに位置し山でも丘でもない平地だ。土地の特殊な性質のため多くのものが育たず、古くから農家が羊を放牧している。羊はチーズの原料となるミルクのために飼育され、ミルクを作るために毎年子羊を産む。子羊はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の伝統に従い、イースターのために殺され食されている。また、毎年刈り取られる羊毛は寝具(マットレス、枕、毛布)や衣類に使われている。コース地方には特有の羊がいて、目の周りが黒く眼鏡をかけているように見えることから通称「メガネをかけた羊」と呼ばれている。この辺りはバスク地方のように今は羊の飼育をあまりしていない。
私の友人に羊飼いのアントワーヌがいる。『Ici-bas』というスライドショーのために彼を撮影した。彼は羊飼いの家系ではなかったが、別の人生を歩みたいと思い羊飼いになった。羊飼いは今でも自由と孤独の代名詞であり、東洋における旅をする修行僧に似ている。大変な仕事だが、季節の移ろいを感じながら自然の中で生活することができる。アントワーヌが飼っているサルダ種の羊はたいへん美しい。彼は羊たちに敬意を払い、病気になったときは自然療法を施す。夏になると羊の群れを別の場所に移し、より多くの草を食べられるようにする。これはトランスヒュマンスと呼ばれ、ヨーロッパでは先史時代から行われている。
私は先日、スペインとの国境に近いバスク地方の山間部を訪れた。そこでは夏になると羊たちが柵もなく自由に草を食んでいた。様々な種類の羊がいてその中でもバスク地方特有の黒い顔のマネックの羊毛は硬く、触れると痒い。この地方の村に暮らし、羊毛を手紡ぎ手編みをしていたメアリーのマネックウールを使ったセーターを私はいくつか持っている。彼女は2年前に90歳になったとき、羊毛の仕事をやめた。原毛から作った独特の雰囲気を持つ彼女の衣を手に入れることができて私は嬉しかった。メアリーは羊飼いからもらった羊毛は何でも使っていた。マネックウールのセーターは着心地がいいものではないけれどとても美しい。
私は大地を彩る白くふわっとした羊のシルエットを見ていると、魔法にかかったような気分になる。時折、羊と目があい見つめ合うと動物を利用する人間の一員であることに罪悪感を感じると同時に、私もまた哺乳動物であることに気づかされる。
September, 2021
Elein Fleiss
Photography: Elein Fleiss