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ときをいきる籠
日本はかつて大陸と地続きであったが、地殻変動を繰り返し、2万年程前に今の列島が形づくられたと考えられている。紀元前後に新しい文化をもった時代が到来 するまで、縄文の時は1万数千年にわたり続いた。海に囲まれた温順な日本の風土には、南からそして北から点々と繋がる群島伝いに多様な伝来があり、その長い暮らしの間、自らの文化はかたちづくられた。
縄文時代には土器や石器など、生活のなかで様々な様式と道具が用いられたが、その1つに自生する植物を手で編み成型した籠がある。
縄文の史を伝える日本各地の遺跡より、籠が出土。その当時の暮らしを知る手がかりとなった。人の手で編まれる籠は、長い時を経た暮らしの変容の中においても、これまでのいのちの歴史の中で重要な役割をしめてきた希有な道具といえる。
四季折々の日本列島のくらしの中では、自生する植物もことなり、籠の素材は、真竹、孟宗竹、根曲竹、鈴竹などの竹類、通草蔓、沢胡桃、山葡萄、山桜、つづらなど多岐にわたる。形状、編み方も、その地の暮らしを豊かに反映し各々の個性をたずさえるものとなった。稲作の土仕事に用いるもの、木の実や穀物を採取するもの、海において魚や海苔を採ったもの、くらしのいとなみに応じ、折々に編まれてきた。
自然の恩恵と人の手といのちがあたえられ、あたらしい時を生きる籠。素材美の特性をいかした成型の過程には、険しい山での原料の採取から、長い時をかけ生業にたましいを向ける、人の自然への畏敬の思いがやどる。自然と人間のいのちのかさなりに、うやまう心を寄り添わせ、用の美は昇華される。
人と自然がともにあり礎が築かれた日本の美意識。光をあてがう人の手が時をいきる籠の物語を継ぐ。長いいのちの歴史と暮らしを編む伝統的な手仕事にわたしたちの源流の光をみいだす。
2016年 春分
西澤さちえ