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Sep 05, 2023 | Free Press 

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丹波における衣の考察を始めた。衣といっても古代の丹波国から直感を受けた夜着や寝具を想像している。なぜ、丹波の夜着や寝具なのか。

かつて、古代の丹波国は大きく丹後半島から私の住まう南丹の美山、兵庫県の氷上や多紀あたりまで大きな範囲で王国を築いていた。特に丹後半島がその中心地であったため、多くの古墳や遺跡が今も丹後に残っている。また、縄文遺跡も多く発見され、縄文の人たちが生き生きと暮らしていた気配を今も感じることができる。丹波、丹後の丹はその土地の土の成分が鉄分を多く含み褐色の赤土のために丹がつくと言われている。実際、この地に住んでみて、赤土が露出していたり、山の小川の石に鉄分と思われる赤さが付着していたり、井戸水がうっすらと赤かったりすることもある。

赤は原初から尊い色とされていた。縄文時代では顔や身体に鮮やかな赤い辰砂を塗っていたという。辰砂は水銀質の鉱物で細かく砕けば砕くほど鮮やかな朱の赤を放つ。辰砂が付着した縄文時代の土器も橿原市観音寺本馬遺跡や更良岡山遺跡などから出土している。弥生時代になれば支配者の埋葬に辰砂が使われ、墳墓から辰砂に彩られた土が多く発掘されている。丹後の三坂神社の墳墓の中にも、辰砂で鮮やかに赤く染まった土が発掘され、そのまま切り取られたものが丹後の資料館の研究遺物として保管室に眠っている。それは、古代の色彩がそのまま感じられる美しい赤、強烈な土と朱のコントラスト。

また、丹波は古代に絹が伝わり今に至っている。伝統工芸の絹織物である丹後ちりめんは古くからの技術を保持して今に伝えている。かつて、辰砂で赤く染めた木棺に彼らを眠らせるとき、絹の衣を着せたのだろうか。そして、さらに顔、身体、衣の上に辰砂がかけられ赤く赤く生の蘇りを祈り葬ったのか。今では丹の土の上に彩る辰砂の赤い朱だけが私たちの目に写る。

 

AAWAA

2023年8月

 

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