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タメさんと藤織り
光野タメさんの藤布による井之本泰氏のためのタッツケ
湿気を含んだ玄関戸を開けると、外の明るさとは裏腹に、土間の暗さに、一瞬、目がくらみ立ちくらむ。
「誰じゃいな。こんな雪降りに。」
「資料館の井之本です。」
「また、資料館の兄さんかい。」
煤けた障子越しに、囲炉裏の明かりで丸まった姿の声の主が映し出された。
囲炉裏端にヘコッテ(座って)、両足を投げ出し、足の親指に繊維を引っ掛け、さばきながら、スルスルと結び目をつくることなく、手の親指と人差し指の感覚で撚り合わせ、横に置いたハリコ(張り子籠)に繰り入れていく。これをウム(績む)という。
見ていると、指先に目があるのではないかと思わせる手さばき。まるでその姿は繭をつくるために糸を吐く蚕のようだ。
「ウラ(私)は。人前で、藤織りのことを話したこともないし、教えたこともない。何回頼まれてもでけんもんはでけん」とがんとして断りつづけられていた。
「雪のなかを何回も頼みに来とんなる。せめて一回でもカタッタッタ(関わる)らどうや。」蒲団に包まる連れ合いの新太郎さんの一言で、光野タメさんと小川ツヤさんの指導のもと、見よう見真似の藤織り講習会がはじまった(1985年(昭和60年))。
藤織りを伝えるおばあさんたちも高齢化で、その技術が危ぶまれることから記録映画を撮影することになった(1987年(昭和62年))。
当時、京都の織物問屋「秀粋」の依頼を受け、茶室用の座布団に加工するために、織り幅が約45㎝だった。撮影にあたっては昔ながらの着幅約35㎝にもどしてお願いすることになった。
「一反では調子が出ないので、二反織ることにしょうか」と主役のタメさん。ついてはその2反(1反15万円×2反+織りはじめと織じまいも含め32万円)を買ってほしいとの申し出。当然と言えば当然のこと。
資料館勤めの駆け出しだった私にとって、資料館で購入することも考えられたが、予算化することが出来ず、結局、映像記録とともに現物の反物が残るんだと自分に言い聞かせ、思い切って購入した。
そして今、その一反を使って、前田征紀さんのところで「タッツケ」に仕立ててもらった。雪解けとともに、タッツケをはいて野良仕事をはじめることにしょう。
タメさんも「アンタもモノ好きな人だ。」とあの世で笑っていることだろう。
合力の会・井之本泰
囲炉裏端で座り藤績みをするタメさん