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めぐる水とともに

May 18, 2017 | Free Press 

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 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、

 久しくとゞまりたるためしなし。

 世中にある人と栖と、又かくのごとし(1)。

 

 この世界に始まりがあることは明らかとなっている。それは一三八億年前のこととされる。初めに大きな爆発があり、宇宙は拡がりつつ冷め続けている。その拡大と冷却の過程に地球が生まれ、生命が生まれた。原初の様態は混沌としており、時間の推移、エネルギーの減少とともに分化され、秩序が生じ、やがて安定に至る。

 さかのぼれば歴史的にさまざまな原初があった。宇宙の原初、銀河の原初、太陽の原初、地球の原初、生命の原初・・・。あらゆる体系の原初のありようにおいて、原初は常に混沌としている。二〇一六年八月十九日、島根県益田市小浜町の海岸で催されたパフォーマンス「お水え」はそうした原初の様態を想起させ、体感させる儀礼として三十名内外の参加者に働きかけるものとなった。

 

 

 ‪朝八時、その儀礼は始まった。茶会の型式を借りた儀礼である。八月の朝の太陽が東の空を昇る。時をおって陰影がふかく刻まれてくる。参加者は控え所から海岸に沿って東へと、会場の砂浜に向かう。砂浜を四つの巨岩が囲む浄められた空間。巨岩が結界のように空間の内と外とを明確に隔てている。その波打ち際、岩場に設けられた「お水え堂」と称す二メートル四方の板間に和紙が敷かれている。席主は前田征紀と石井すみ子。半東二人。客は三人。客はひとりずつ順に下足を脱ぎ、席につく。波が間断なく打ち寄せてくる。時おり波しぶきを頬に感じる。波とともに海からの風をつよく感じる。

 はじめに席主はこの会の趣旨を客に伝える。「私たちが石見の地を旅するなかで出会った印象をもとに、たくさんの恵みを揃えました。どうぞ存分にお楽しみください。」続いて和紙にしたためた「やまうみかわかみ」の詞を唱える。席主は客に対し、揉みたたまれた傍らの石州和紙を、静かにゆっくりと開いてみせる。和紙には石見で採れた山、海、川の植物や海藻が漉き込まれている。紙の開く音が聞こえる。広げた和紙を両手に掲げ、客のほうへ差しだす。和紙は海風にさらされ、煽られる。その後、客は水菓子をいただく。水菓子には当地の海水から採れた塩が使われている。続いて水が呈される。水は中国山地から日本海へ注ぐ清流・高津川の支流をさかのぼった地の湧き水である。呈する碗は石見の土で作られている。一服ずつ水をいただく。

 客は水を喫した後、お水え堂を降りる。儀礼の間、お水え堂の側では藁製の龍が海水に浸されている。海中より引きあげられたこの藁龍を二人の半東が手に携え、しっかりと足もとを踏みしめつつ、円弧を描いて練り歩くこと七周半。この間、お水え堂に留まる席主が石州和紙の巻紙を手繰りつつ、書かれた文字を唱える。潮騒に紛れて言葉は聞きとることができない。

 終始、打ちよせる海の波動はしぶきと轟音をたたみかけ、次第につよさを増していく八月の朝の陽ざしが悉皆を照らす。厳かな儀礼の空気。四方に配された天然の巨岩の結界。そうした自然の室礼のなか、人為的に進む一連のセレモニー。石見の地の精髄を象徴的に集めた心尽くしのもてなし。水。これらを共有することで生まれるある種の一体感は、神への畏れとともにあった。

 はじめに神が「光あれ」と言って光が生じる以前、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた(2)」世界。「國稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂へる(3)」世界。本来、不可分な自然の、その原初的な様態のなかに入りこんでゆく体験。言葉と概念とが自然の諸要素を対象として分別する認識は、現代に至って久しく支配的で、我々の意識はとっぷりとその世界観に浸かりこんでいる。山、海、川、砂、岩、草、水、空、雲、光、風、音、匂・・・。言葉と概念により分別されたそれらは、本来ひとつではなかったか。かつて我々自身、そのなかに属していたのではなかったか。そしてその原初の様態は、同じ時間的持続のなかに今も息づいているのではないか。そのような直観を喚起する経験だった。

 原初の様態への回帰を印象づけるこの儀礼が「分けられたものの和合」を主題としていることは、儀礼のなかで示された言葉や物にもみることができる。冒頭、唱えられた詞「やまうみかわかみ」は「みなひとつでいたが ときもわからぬころ ふたつにわかれた」で始まり、「やまうみかわひとつとなり」をやま・うみ・かわの三者が繰り返して結ばれる。

 仕立てた着衣は、草木を漉き込んだ「やまかみ紙衣」、海藻を漉き込んだ「うみかみ紙衣」、水草を漉き込んだ「かわかみ紙衣」からなり、はじめに席主が広げてみせた「おとかみ/やまうみかわかみ」には、そのすべてが漉き込まれている。

 加えて「やまかみ紙衣」を海辺寄りの紙漉師が手掛け、「うみかみ紙衣」「かわかみ紙衣」「おとかみ/やまうみかわかみ」を山間地の紙漉師が手掛けていることにも、山と海とを対比的に扱いつつ、両者の和合を意図する志向を読みとることができる。始まりへの回帰を呼び覚ますこと。ここに儀礼の有する本来的な機能の一つをみるのであれば、「お水え」で示された主題はまさにそこに適って儀礼的である。原初の様態を直観させるための道具立てが、意志的に為されて一貫性を得ていることに気づく。

 

 

 島根県西部、石見地方は東西に長く日本海に面し、南を広島県、西を山口県と接する地域である。石見の名の示すとおり、山地が日本海沿岸まで迫っており、平地が少なく、海岸の懸崖に波涛が打ちよせる光景が印象的である。近年では石見銀山遺跡がユネスコの世界文化遺産に、また石州半紙が同・無形遺産に登録されたように、世界的見地からみても特性に満ちた、豊かな文化的環境を備えている。

 「お水え」の舞台となった益田市はその石見地方の西端に位置する。中国山地に源を発し、北流して日本海へ注ぐ高津川の下流域にあたり、石見最大の平野・益田平野を擁する地域である。高津川は国内の一級河川のうち、最高品位の水質をもつことが証された清流として知られる。

 そして益田市域の山間部に位置する匹見町は「お水え」で呈された水の取水地である。標高千メートルに達する山峰に囲まれた山林地帯で、広島県との県境を水源とする匹見川が西流し、下流域で先の高津川に合流する。匹見川によって形成された渓谷・匹見峡は、秋の紅葉のとりわけ美しい景観で知られる。

 匹見町域は歴史的には豊かな自然環境を背景に、一万二千年から三万年前の旧石器時代にさかのぼる人々の痕跡が確認されており(4)、また縄文時代以降の遺跡にも多く恵まれる。とくに紙祖川沿いの河岸段丘上には石ヶ坪遺跡(5)や水田ノ上遺跡(6)といった重要な縄文遺跡が分布している。石ヶ坪遺跡では縄文時代の竪穴式住居や集石遺構などとともに縄文中期から後期に至る多量の土器と石器類が出土した。なかでも九州系の並木式、阿高式の土器片は、当期の人的交流を跡づける資料として注目されている。

 水田ノ上遺跡では、径一メートル前後の配石遺構が径七〇メートルもの環状を為して群集するとともに、土偶・土版といった祭祀遺物、勾玉・管玉などの装身具、土器・石器類が出土している。加えて同遺跡からは、弥生時代の祭器である青銅製の銅戈片が発見されている。形式の類する資料は多く北部九州で出土しており、弥生時代前期頃の朝鮮半島製あるいは最初期の国産品とみられる(7)。稲作文化の東伝に伴い、もたらされた可能性を示唆する見方もある(8)。

 こうした遺構や遺物から、当地における縄文人の生活や交流の実際とあわせ、精神的な営みにも近づけることは意義深い。この歴史的痕跡をふまえて「お水え」の道具立てや特別展で示された縄文的要素に眼を転じれば、それらは自ずと現実の歴史性に依拠して、一層深化した印象を与える存在となろう。

 また「お水え」の最後を祭儀的に締めくくった藁製の龍による舞は、石見地方に古くから伝わる民俗信仰に源流が求められる。先にふれた清流・高津川をさかのぼると、中国山地に位置する吉賀町の水源地に行きあたる。そこは大蛇ヶ池と称される小さな池で、傍らに巨大な一本杉が猛然と樹枝を伸ばし、周囲は湿原となっている。ここで毎年六月、雨乞いの神事が行われ、人々は藁で作った龍蛇を担いで大蛇ヶ池に入り、水に潜らせ、上下に踊らせ、最後に一本杉に掲げるのである。

 また石見地方の各地に伝承される大元神楽でも藁蛇がみられる。大元神楽は地区ごとの祖神「大元神」をまつる神楽で、主に石見地方の山間部に伝わる。この神楽では、大元神を託綱と呼ばれる藁蛇に迎え、とぐろを巻いた状態で祭壇に安置する。そして一夜を通した神楽の最後、この藁蛇を天蓋から吊して激しく揺らし、時によって神懸かりがあり、託宣が得られる。夜が明けると、藁蛇は神送りされ、神木に巻きつけられて鎮まる(9)。「お水え」における藁龍に込められた象徴性をこうした石見の伝統的神事に辿ることで、神と人とがともにあり、親しく交わる世界のあり方にあらためて思いが至る。

 

 

 名付けられ、人格化される以前の神々のありようを茶会の形式を借りて物質化して象徴的に表わし、純粋で極まったもてなしの心を込めて伝達しようとする行為。そこでは主客は明確であり、伝えることの純粋性も際立つ。立ち顕れた原初の様態において、神々はすべてに宿っていた。神性は土地に根ざし、土地土地の集合体としての地球がある。認識の尺度が異なるだけの違いとしてみれば、それぞれの土地と地球ひいては宇宙は同一のものと言える。認識において、尺度のとり方により生じる違いは大きい。時間と空間における認識の尺度を大きく小さく変えることにより、見えないものが見え、気づかないことに気づく。今ここにある一個の碗は、尺度を変えてみれば石見の土であり、分子の集合体であり、さらには素粒子の集まりと見れば、物を物として見る認識はもはや成り立たない。自然の構成物、山や海や川もまた同然である。

 有機体としての人体に湧き水をふるまい、摂取する行為。その湧き水はいずれ人体を通過して自然へと、地球へとめぐってゆく。ふるまいの水はどこから来て、どこへ行くのか。大いなるめぐりの途中に、‪一時の間、私の体にあったこの水は、眼前の海の水であり、大空の雲であり、地下をゆく伏流水であり、山と海をつなぐ川の水である。大地に注ぐ雨であり、大気に含まれる水蒸気である。

 豊かな水に満たされた地球。その水中において、有機的構造をもつ生命は奇跡的に生まれた。その生命の一つの姿である人というものが、海に映る陽光のきらめきを見て美しいと感じることの不思議。またそのことを他者とともに感じることの不思議。夕陽に染まる空や海を見て美しく感じるのは、その瞬間、時間の移ろい、刹那を感じているからだろう。今この瞬間は、今この瞬間にしかないことをありありと目のあたりにできるからだろう。この認識をもってすべてを見わたせば、あらゆる存在は尊い。

 一日が終わり、また翌朝、太陽は昇る。一見めぐっているようにみえて、同じ時間はない。宇宙の始まりからここに至る過程を知れば、時間は常に前にしか進まないことは自明である。めぐり、繰りかえすようであり、一回きりでもある。永遠なる摂理は常に移ろうことである。四十六億年前に生まれたこの星が、五十億年後には太陽とともに存在を終えることもまた人の知るところである。すべてはひとつの宇宙であり、永遠に移ろうものである。

 

椋木賢治(島根県立美術館)

 

 

1 鴨長明『方丈記』岩波文庫

2 『創世記』新共同訳

3 『古事記』岩波文庫

4 『新槙原遺跡発掘調査報告書』匹見町教育委員会 一九八七年

5 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会 一九九〇年

6 『水田ノ上A遺跡・長グロ遺跡・下正ノ田遺跡』匹見町教育委員会 一九九一年

7  前掲 註6

8 『島根県の歴史』四三頁 二〇〇五年

9 『島根の神楽 芸能と祭儀』島根県立古代出雲歴史博物館 二〇一〇年

 

Photography by Yurie Nagashima

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