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COSMIC WONDER Free Press

神性の実験

Dec 15, 2015 | COSMIC WONDER Free Press 

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白衣も道具もいらない

からだひとつでできる

実験を行います。

 

 

◎実験

 

自分がもって生まれた体質に戻っていくとき、人は最高の健康を手に入れる

 

意識レベルがあがると、どんなものごとでさえ、純粋意識しか見えなくなる

 

その人らしく輝いていくときに、もっともすばらしい魅力が発揮される

 

物質ではなく、プラーナによってのみ生きる人、ライトイーターが実存する

 

不耕起、無農薬、無肥料で、つよくておいしい農作物が育つ

 

紫外線、赤外線、そのほかの可視光線、すべての光は愛でできている

 

あるがままでいることが誰からも許されていると安心する

 

すべては同じものからできている

 

 

 

これらはわたしがこれまで聴いた話、実際に見たことたちです

 

さあ、実験です

 

 

 

これらが本当だと思って生きるのと

 

これらが嘘だと思って生きるのと

 

どちらがここちよいのかを感じてみます

 

 

 

好きなセンテンスを

いくつか選んで

ひとつひとつ味わってみてください

 

 

 

その世界が本当だと思うのと−−

 

そんな世界は嘘だと思うのと−−

 

さあ、目をつぶって……

 

こころがしんとするまで

味わってみてください

 

 

 

わたしたち、
そして

すべてのものには神性が宿り

すべてはひとつの神性、

光から生まれたことの

ひとつの実験結果が、

あなたの体感のなかにあります。

 

 

(補足* たいていの多くの人が、

自分の中に眠る神性に気づかずに生きてきました

でも、いま、いよいよその神性に気づいて

目覚めて生きる、時のゲートがひらかれています)

 

 

ゲートがひらく前もひらいたあとも

COSMIC WONDERの服は

ひとたび袖を通せば

わたしたちに確かに眠る神性に気づき

神性を輝かせるエナジーに満ちている

大変希有な存在です。

 

 

この服は、光です。

 

あなたが、光であるように。

 

すべてが、光から生まれ出でた存在であるように。

 

 

 

光があたりまえの時がきた。

 

 

 

 

 

あたらしい時のゲートをくぐりながら

水の光のなかで

 

2015年8月6日

服部みれい

 

Photography by Ai Nakagawa

 

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記録のなかの記憶

Jul 18, 2015 | COSMIC WONDER Free Press 

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前田征紀からその会のことを聞いた日、自分がそこに足を運べるとは夢にも思っていなかった。電車もなく、バスもない。京丹波の山の奥。そこで前田征紀と、陶芸および手工芸の聖地のようなgallery白田を主宰する石井すみ子の美術ユニット「工藝ぱんくす舎」、そしてCOSMIC WONDERによる創造的な集い、「かみのひかりのあわ 水会」が行われる、という知らせを3月30日月曜日に、京都で聞いた。その話を聞いた時に昼食をともにしていた、竹に囲まれた土壁の部屋は、京都の繁華街の中央にありながら、前田が「ここにくると落ち着く」という韓国ふうなしつらえの料理の店だった。そのときはまだ、その会の具体的なこと、詳細なスケジュールやどのように水会の儀式を行うかなどはまだ、ぼんやりとしか決まっていない、という印象であった。その日から、まさに4週間後の4月27日月曜日に、前田征紀と、京都の菜食野草料理の料理人加藤祐基と、ふたたびこの店に来て昼食を食べた。今度は3人ではなく、前田とともにCOSMIC WONDERを創設し現在は宮崎県に住む安田都、26日に開催された水会を写真で記録するために東京から招待された長島有里枝、そして私、私と同様に東京からこの催しに参加した兼平彦太郎、京都から同席した岡田充洋も加わっていた。水会を映像で記録した志村信裕は拠点の山口県に仕事を残していたため、この日はすでに帰宅していて、いなかった。

私たちは前日におこなわれた、とても不思議な催しや出会った人について口々に語った。ギャラリー白田は陶芸家の主人をもつ石井すみ子が主宰する物販もかねたこじんまりとした展示空間だが、そこは豊かな萌葱色の自然に包まれていた。このギャラリーと夫妻の生活空間、ならびに夫石井直人の登り窯を取り巻く空地と、その奥の山の杉林を舞台として、この日、突如として白い紙のふくを着た人たちが、まるでごっこ遊びをおこなうかのように、紙と神と水と土と光についての、私たちが暮しのなかで触れ合うことのある美しいものたちの存在を印象深く示すパフォーマンスが、おこなわれたのであった。手作りのお菓子と、手透きの和紙。それはどちらも土からきたものとかかわり、自然と密接にかかわり、人の手でつくられた、泥臭い手の仕事であり、かつ、もっとも新しい創造の先端であることが、山奥にまねかれ白い紙の上に座り、目の前で「水会」のめくるめく出来事を体験した参加者は、各人各様に、理解したのだった。

 

エレンのために短文を寄せる仕事を担ってこの「水会」に参加した私も、これが短文では伝え記せないことであることは、すぐに自覚した。どうしたらよいものかと思いながら、その翌日、昼食会の前に京都市街地を一人で歩いていた。そこには京都ならではの、二階建ての町屋を今ふうに改造したファッションブティックが、ところせましと並んでおり、流木や民藝品をエントランスやウィンドウに配しながら、自然との融和をアピールする小売店が列をなしていた。それらの店が開店する前の時間帯に、数時間後には人でいっぱいになる繁華街の賑わいを想像しながら、一方で、前田が理想郷として半年後に移住をきめている美山地域の風景を、思い浮かべた。「水会」のあと日暮れまでに、私たちは1時間車を走らせて、前田の次なるステップの舞台である美山郷まで向かっていたのだった。

 

京都の山奥からまたべつの山奥へ、萌葱色のけしきにつつまれながらしばらくのドライブを経て、私たちは茅葺き屋根のいえいえが点在する、山に囲まれて清流の流れるその郷についた。日が暮れようとしていた。むかしの日本人の暮しがそのまま保存されているようなこの郷に、これから暮らし創り続けようとするCOSMIC WONDERの21世紀を思い、彼らの勇気ある決断と、つねに追随を許さない美への探求にあらためて、「工藝ぱんくす舎」と名乗ろうとする「ぱんくす」の精神をみた。

 

COSMIC WONDERの先鋭性が、世間にそのままに理解されたことは、かつても今も、ほとんどなかったと思う。そして彼らの追求するせかいは、心身ともにハードワークを要求するせかいでもあるのだが、すすんでそのせかいの住人になろうとする才能豊かな人たちが、家族のように前田征紀の周辺を取り巻いていることを、私は知っている。10年以上私もそのせかいの住人になっているので、だいたいのことはわかっている。わからないようで、わかっているつもりだ。たしかなことの一つは、15年前には私も彼らも、その眼差しを外の国へとむけていた。今はその眼差しを、日本とその源流に向けているということである。そこへと向かわせる理由は、何をおいても、暮らしのなかの美の探求なのである。それをきわめて行くと行き着く先に、素直に従っていこうとしているまでのことなのである。21世紀というこの時代の、現代を生きる感覚として。

 

2015年4月28日 林 央子

 

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Film still by Nobuhiro Shimura

 

COSMIC WONDER with Kogei Punks Sha / The Kamino-hikarino-awa Water Ceremony was performed on the 26th of April, 2015 as part of the exhibition “MIERU Kami“.

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すばらしいおどろき

May 13, 2015 | COSMIC WONDER Free Press 

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工業的につくられた服や、化学繊維を好きになったことは一度もなかった。いつも、この服は何でできているのか、ラベルを確認していた。けれども数年前、私は完全に別な世界と出会った。オーガニックコットン、エコロジカルに生産されたウールだけでなく、麻、ヘンプ、アルパカなどの、化学薬品を用いずに製造された布。このような素材に導かれて、それらをつくりだす職人への好奇心がわいてきた。それらを紡ぎ、編み、織り、染める人たちへと。植物染めの本を読んで、それまで知らなかった色を発見することで、審美的な衝撃をうけた。けれども、オーガニックテキスタイル世界基準をみたしたエコロジーブランドの衣服は好きになれなかった。それらはデザインとカットが悪く、多くは醜かったからだ。私の心のなかには、美しさへの希求と、天然素材や自然由来の色を欲するきもちがあって、そこに葛藤があった。

去年、COSMIC WONDERの新しい方向性を知ったときに、夢が現実になった。あえて期待していなかったその夢が。私は彼らのデビューコレクション「First Light」を発見した。前田征紀はヘンプ、アルパカ、麻や、私が存在すら知らなかった素材、たとえば苧麻、アバカ、葛布などを用い、それらを車輪梅の花、ロッグウッド、アレカカテキュ、ラックなどの植物で私が夢見ていた色に染め、すばらしい服をうみ出していた。それは啓示だった。私はそれまで得ることのできなかった、喜びの感情にみたされていた。「アーティストは、時代とともに生きなければいけない」ということわざについてよく私は考えるのだが、最初の2つのコレクション「First Light」と「Natural Breathing」を見たときに、この言葉が浮かんだ。これらの服は、私たちが生きている時代への深い理解にもとづいて、つくり出されている。これらの服の美しさは、崩壊しつつある世界から立ち上がった。前田征紀は、これまで踏み歩かれた道を辿ることを避ける勇気と、正直さを抱いたのだ。さらには、今日において珍しいことに、彼は彼の思想と完璧なハーモニーをもって生き、かつ創造することを、やってのけているのである。
 
衣服についてそのように考えることは、生活すること、食べること、自身の体をいたわることについての、まったくことなる考えかたのなかの一部なのである。その実践はシンプルなことだけれど、たくさんの仕事と時間を要求する。知識と同時に、ある技術を習得することも必要だ。しばしば、そのような技術は、ここ2世紀にわたる熱狂的な工業化によって埋め込まれてしまってほとんど現存しない。それを遡るためには、再発見がなされなければならないのだが、それこそが、前田征紀が実践しているリサーチの対象だ。彼の美しい提案は、聖なる自然から採取された豊富な素材をもとに、いにしえからつらなるさまざまな繊維と日本の手工芸を結びつけ、それらをたて直す。こうしてうまれた服は人間の手によってつくられていることに加え、意味深い歴史をもつ。現代においてはどこにいたとしても、服を製造するということは、誠にもって悪夢 (汚染、破壊、奴隷制)について考えをめぐらすことである。とても考えたくないことなのだが。しかし彼らの場合は、どの製造段階を想像しても楽しい。植物の収穫、動物と共生すること、紡ぎ、織り、染めること。それらすべては、生きることのイメージを輝かせ、光を放つ。

 

数日前、春が訪れた。私は野生のハーブをつみにでかけた。この素晴らしい、赤いアンサンブル (ラミーと大麻によって織られた)を着て。

 

2015年3月 エレン・フライス

 

フランス語から英語への翻訳: ブルース・ベンダソン

英語から日本語への翻訳: 林央子

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泥土の火の子

Feb 19, 2015 | COSMIC WONDER Free Press 

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山が鳴り太古の息吹が響く春

出土する原始の声に目が覚める

森に浸る高鳴る音色の歓喜の静寂

 

泥土から清然と出流火の子のよう

重なる野生の美しき烈々たる夏の思ひ

森に割れる高鳴る音色の歓喜の静寂

 

「嗚呼、そのようにしておくれ、

おまえが思う姿を呼吸しておくれ」

 

2015年2月19日 前田 征紀

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Cosmic Wonderのあたらしいかたち

Jan 21, 2015 | COSMIC WONDER Free Press 

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お盆の前日の8月12日、Cosmic Wonderからメールが届いた。現在はあらたな活動の為に休館しているCenter for COSMIC WONDERが8月24日に開館するという。「ひかりのあわ」と題された告知メールには「COSMIC WONDERのあらたな概念による製品の発表が始まります。手つむぎ手織りの自然布をはじめ、オーガニックコットン、オーガニックリネン、オーガニックウール、色彩豊かな天然草木染め。 伝統的な素材をはじめ、天然の桑の葉だけで育てられた蚕の貴重な日本の絹など。今をつむぐさまざまな光をここに。」というメッセージが添えられていた。

 

その前日に、彼らの新作コレクションの印刷物が届いていた。すいこまれるように美しい湖面のような水色のワンピースは、古い着物を剥いでパッチワークされたもの。麻に似たかろやかな雰囲気だが、また別の植物の繊維からとられた、ふんわりとかるく羽織れるベストは、どの民族とは特定できないもののそれとなく伝統的な衣服を連想させるシェイプをしていた。と同時に東京という都市にいてそれをはおってみても違和感のない、高いデザイン性を保ってもいた。

 

これらの服は、彼らのいわゆる「秋冬シーズンの新作」である。しかし、とりわけこの一年間において彼らのつよい変化への希求と、それが現実とどう折り合いをつけていくかの過程を見守ってきた私には、改めて大きな意味をもつ第一歩である、ととらえている。いまここにある彼らの活動は、現在のファッションシステムと並行して歩きながらも、自分たちなりの服づくりを継続していくため、あらたなる変革を展開しようとする確固たる意思のもと、組織の編成や働き方の刷新をも含む、ラディカルな活動の一端である。

 

2014年に水戸芸術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館という2つの美術館を巡回した「拡張するファッション」展で発表した作品も、その変革のプロセスを反映させていた。このグループ展においてさまざまな作家の作品、インスタレーションのなかでもとりわけ異彩を放っていたのは、古い農機具や食器、焼き物や石、鏡などとともに、何枚もの円形の布が空間に配置されているCOSMIC WONDERの空間だった。草木染めによる独特の柔らかな色彩、ベージュからピンクやグレーまでの布がつなげられ、刺し子が施された丸い布。それはスタッフの一人がすむ宮崎で、伝統的な工芸をたしなむ女性たちのサークルの手で縫われたものだと設営の時に聞いた。「おばちゃんたちに私が服作りを教えたりして、その代わりに縫ってもらったりして作ったものなんです」

 

振り返ってみれば、2014年の初春から初秋にかけて、茨城県水戸市と香川県丸亀市という二つの日本の地方都市における現代美術館で開催されたこの展覧会にむけて、前田征紀から具体的なアイデアが提示されたのは、一年前の夏だった。それは「COSMIC WONDER RESTAURANTという新しい概念の、一日かぎりのパフォーマンス(であり、ファッションショーでもある)とそのための空間」という斬新なものであった。その基盤にあるのは「贈与経済」という概念だったが、いつも通り前田からそれ以上の詳しい説明はなかった。一ヶ月後、ニューヨークで彼らが9月に実施したパフォーマンスの映像や写真が提示された。美しく、自然で、あたらしい感覚の風が流れていた。完成形が見えないまま、私たち(水戸芸術館ならびに丸亀市猪熊弦一郎現代美術館の学芸員と、展覧会の原案となった本『拡張するファッション』の著者である私)は、それを「実現させましょう」という方向で動き出していた。

 

2014年2月22日に始まった水戸芸術館での展示は、ニューヨークで行なわれたパフォーマンスのように、円形の布を空間に敷くことが出発点であったが、展示する部屋に合わせて再度敷物が作られた。また日本での発表を意識して、古い農耕具が添えられていた。会期中週末には、東京からの集客を期してさまざまなイベントが組まれたが、会期最終の日曜日に、待望のパフォーマンス「COSMIC WONDER RESTAURANT」が行なわれた。それは、マジカルな一日だった。晴れた日、青々とした5月の芝生の上で、来館者たちがもちよった「贈り物」とひきかえに「ランチ」が供された。目に美しく美味なる料理は吟味された材料と、京都の職人の手によるものだった。笙や弦楽器、肉声によるチャンス・オペレーションの音楽と、パフォーマンスと食事。そして、布や円形の鏡などの彫刻。音楽やダンスの演奏者も、そして前田征紀らのスタッフが身につけていたのも、ここで初めて着用された「秋冬」の新作であった。つまりこれは、美術館の展示最終日に館内の庭で大々的に開催された、新作発表の場(すなわち、いわゆる「ファッションショー」と言うこともできる場)でもあったのだ。

 

水戸での会期を経て、6月14日から始まった四国・丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館(通称MIMOCA)では、会場空間に合わせて前田が一人で設営を行った。2度目の展示にあたっては、改めて細部が再考された。水戸のパフォーマンスによって集められたオブジェ、ガラスの壷や水晶などの鉱石、パフォーマンスの日に前田が着ていた着物などが新たに加わっていた。

 

円形の敷物はよく見ると幾何学模様の刺し子が施されている。なかには、前田自身が指したものもあった。「親指が痛くなりました(笑)」と笑う前田だが、ちょうど一年前の夏のある日に彼が、「もう服作りをやめます」と発言していた時期もあったのだから、その笑顔は長年COSMIC WONDERの活動を見続けてきた私にとっても、とてもうれしい笑顔だった。

 

彼によれば、あたらしいCOSMIC WONDERの世界観を一番よく現しているのが、「拡張するファッション」展における展示だった。その部屋を丁寧に見れば、注意してみれば、たしかに数着の衣服がある。しかしその空間で「服」をまず見つける人は少数にちがいない。円形の敷物、木の枝や水晶、古い食器など。そこに置かれたいくつかのオブジェ、農作業の用具、白木の台などとともに、ひっそりと、服がある。それは、都市中心の、一方的な消費に傾いた生活のありかた全般に対してまた別の、日々の生活との向き合い方、すなわち食物なり衣服の素材なりを、暮らしのなかで自分たちの手を加えながら生産することを、シンボリックに示していた展示だった。

 

「これから作る服は、今までも取り入れていたのですがさらに徹底して、天然の草木染めや、手織り手つむぎなどより伝統的な制作方法に基づいた素材を中心に、展開していきたいんです。そのためには会社ごと京都の田舎のほうに引っ越す計画があって、今もそのために、組織ごとゆるやかに変えていっています」。より少数の、家族的な運営によるデザインチームとして、拠点を商業や通商の中心地からあえて距離を置く。MIMOCAのオープニングの夜、BLESSのデジレと前田征紀はそのような「変革」の可能性について、真剣に語り合っていた。BLESSはすでにそれを実践しているデザイナーとして、一時期はメキシコに拠点を移し、現在はLAベースになった、自分たちと同郷のドイツ人デザイナー、ベルンハルト・ウィルヘルムの名をあげた。産業の中心的都市から距離をおき、地方に拠点を移す動きはファッション界にも起こり始めているが、しかしそれはことに日本ではファッション界に限らず、さまざまな分野で東日本大震災以降顕著になってきた新しい流れでもある。

 

COSMIC WONDERのあたらしさは、そのような、毎日の自分たちの暮らし全体のあり方にかかわる変革を、あらたな組織編成や仕事の仕方によって、自分たちなりの服作りを継続しながら、並行して実践していこうという姿勢にある。この難しい時代にあって、ビジネス的には軌道にのっていた時期に、あえて、なぜそこまで大胆に「変えたい」のか? という、TVのアナウンサーが聞きそうな問いを彼らにむけて発しても、具体的なエピソードや明快な回答は帰ってこない。日々私たちが生活のなかの一つ一つの行為を無自覚に行っているように、彼らのチョイスは往々にして、言葉で整頓しようとしてもはみ出るような、さまざまな感情や感覚から実践されているからだ。

 

私が何より重要だと思うことは、たとえ背後にある思想や、彼らが変遷期にあるという事情を知らなかったとしても、彼らの新作である服を目にしたら、その服に袖を通したら、新たな感覚の着衣体験が待っているということ、その服自体の完成度の高さそのものである。彼らのつくる服が、素材の色や質感に癒されながらも高い質のデザインを維持しており、センスと感覚のエッジーなバランスの鋭いきわみで、ファッションとして成立しているということ。つまり、美しい素材でつくられた美しい服でありまた、新しいデザイン感覚を備えているということ。これだけ服があふれている時代でありながら、そのこと自体は他に類を見ないのだから。

 

2014年10月22日 林央子

 

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Photography by Yurie Nagashima

COSMIC WONDER
“COSMIC WONDER RESTAURANT”
2014
Installation

 

Exihibited in “You reach out – right now – for something : Questioning the Concept of Fashion”
at Mito Art Foundation, 2014

 

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